自分のケアを怠らない

私が『プロフェッショナル・ファシリテーター どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀』で、一番気に入っている箇所の一つが、第12章の「自分のケアをする(休息)」です。実際にLarryは来日時も、プレゼンターとしての役割が終わると、「一旅行者として」の時間をとって、リフレッシュしてから帰国しています。
私も先日、珍しく激怒する出来事が起こりました。ファシリテーションの現場ではありませんが、ある人との会話で、「非人道的そのもの! あまりにも利己的すぎる!!!」とカッとなってしまったのです。出先の電話でその会話をしたので、人前だからあまり怒りを露にせずに済んだのかな?と思いつつ、その後車で帰宅しました。車はプライベート空間なので、何らかの感情が出てくるのかな?と観察していると、自分が異常に穏やかにいることに気がつきました。妙な感覚です。
Standing in the Fire効果???と思う反面、怒りすぎて心が静かなのかな?とも考えました。
しかしいずれにしても、あれだけ激しい怒りが静かに自分の身体の中にもぐりこんでしまうと、体に悪影響があります。そこで、帰宅して出かけるちょっとの時間に、物理的に怒りを表現しました。具体的には、ソファーとクッション数個を殴ったり投げたりしました。そうするうちに、口が言いたかった怒りの言葉を言うようになります。ひとしきりそうした後、ソファーとクッションにお詫びを言い、クリアリングして終了。
穏やかでいるだけでなく、自分の感情をケアしてこそ、その後の余計な「感情スイッチ」を「増やさない」準備ができるのだと思います。
【次回SIFワークショップ】
Standing in the Fireワークショップ第7期@札幌
2015年8月1日(土) 9:30-17:30
http://peatix.com/event/97774

忘れないでいること

Standing in the Fireワークショップは、受講後にどれだけ練習(実践)を続けるかが肝心です。本を読んだりワークショップを受講した後に、何もしなければあまり意味もありませんし、まして「炎」が点いた時に役立てることはできません。
ところが、その練習をすることを覚えているのが難しい、というジレンマがあります。
先日、久々に整体に行きました。そこは施術というより、体の「みたて」をした後に、エクササイズをおしえてくれるというスタイルです。
翌日から真剣にそのエクササイズを真剣に行なおうとすると、少なくとも20分はかかるので、つい毎日は行ないにくい。なので、時間がとれない日には、生活のちょっとしたスキに「ながら」で行なっています。体の中の滞りや不快感があるので、意外と忘れにくい。そしてこの数日は、あるところで超肉体労働のお手伝いをしているので、「やることを忘れない」が、がさらにできるようになります。不調があるほど忘れづらいというパラドックスですね。
Standing in the Fireで扱う内容は、体の不調のように常に意識にのぼるようなものではありません。日々実践することにより、習慣づけるのが大切です。
【次回ワークショップ】
Standing in the Fireワークショップ第六期
2015年7月26日(日)10:00-18:00
詳細・お申込:https://www.facebook.com/events/494027737430214/permalink/494044567428531/

仏教に学ぶ

先日、真宗木辺派ご門主様のお話を伺う機会がありました。

「さて法身の光明とは、法身と般若と解脱とは涅槃の三徳という。迷いの衆生は煩悩 業 苦の三障とて、煩悩というものが悪行の種となり、その業報より苦しみを受くる身となる。これを生死の苦果という。その煩悩を断ずるを、般若の徳という。般若は智慧のことにて、智慧を磨きて煩悩を断ずるとは、智慧の働きにて煩悩のしばり縄をときて、業のわなを抜けたところを解脱という。その身はもはや苦しみを受けない。苦果の穢身を離れたるところにて仏の境遇の現じる」

ここで言う「智慧」とは、Standing in the Fireで取り扱う「メタ認知」または「気づく力」と考えられます。
気づくことができれば、「智慧の働きによって煩悩という私たちを苦しめるものから自由になる」。

解脱というにはほど遠いですが、古くからこうした先人たちの智慧があるのですね。

一番大きなファイヤー

Standing in the Fireワークショップを始めて、最近気が付いたある「怖ろしいこと」があります。

それは、「SIFワークショップの講師なのだから、さぞ素晴らしい”あり方”なんでしょう」と期待されることです。

つまり、講師として、「あり方」がふだんより意識的に観察されている。

その事実は私にとって、大きなファイヤーです!

そもそも、そんなことをここで書いてしまうと、それに気が付いてなかった受講者の皆さんも、ますます観察するようになるでしょう。(笑) そして、上のような期待自体、私の自意識過剰なのかもしれません。

「とんでもないこと、始めちゃったなぁ」と、ちょっと後悔しないでもありません。

ですが、そんな自分に気が付き、それでもワークショップを続け、オープンマインドで物事を受け取り、自分にやさしくしようと思います。

一生修行♪

自分が変わると世界が変わる?

今日は個人的な出来事のお話です。

ここのところ、奥歯が化膿して、苦しい数日でした。ふだんは歯医者さんが大好きな私ですが(変わってますね!笑)、今回は自力で治そうとして、むしろ症状が悪化してしまいました。

歯医者さんに行きたくなかった理由は、(1)以前から、「いずれは奥歯は抜いた方がいいです。こんど化膿したら、その時は」と言われていた。(2)昔はやさしい先生でしたが、このところなんだか意地悪でむしろサディスティックな気がする、というものでした。

雪の中、気の重い状態で、かなり緊張して歯医者さんのドアの間に立った時にふと、「”意地悪でサディスティック”というのは、私の思い込みかもしれない」と思い、何度か「オープンマインド、オープンマインド」とマントラを唱え、彼に対する解釈を一度白紙に戻してからドアを開けました。

すると・・・

歯を抜かれることもなく、丁寧に説明してくだり(「いつもそうだ」と思い出した)、やさしい口調で今回の治療方針を伝え(「いつもそうだ」と思い出した)、特に怖いことも痛いこともなく終わりました。

途中でふと、最近みかけなくなった院長先生(彼のお父さん)のことを訊ねようと思い、「雑談の多い人だな」と思われるのでは?高齢で容態が悪いかも?と一瞬躊躇しましたが、「急に訊いてみたくなったんですけど」と前置きして話すと、たまたまその日は毎週お休みされる日であり、83歳で元気に現役をつとめられていること、趣味の写真に今でも夢中なことなど、息子としての愛情あふれるお話も伺うことができました。

というわけで、心配していたのとはまったく違うやりとりと結果が起こったのです。

自分が変わると相手が変わると言いますが、まさにそうですね。怖れや心配から、信頼や安心へのシフトを体験させていただきました。

「炎」は簡単についてしまう

先週、Standing in the Fireワークショップ第二期(全三回)が始まりました。

イントロの話をして5分くらい経った時のことです。部屋の時計は私の背後にあるので、見えません。「話し過ぎかな?」と考えながら話してると、正面に座っていた参加者のKさんが、私から目をそらして、ちらりと時計を見ました。

私の中ではその動作の意味は「長々と話してばかりいないで、さっさと始めてくれないかな〜」に決定! そう、勝手に解釈してしまったのです。「そうか、話しすぎなんだな」と、その後そそくさと、話をやめて参加者全員のチェックイン(自己紹介を兼ねて、その時自分の心の中にあることをシェアする)を始めてしまいました。

人間は、自分の考えの「証拠探し」をすると言われています。「話が長すぎるかな」と思っていた私は、「ほうらね! ああやって時計を見たでしょう? 話が長すぎてるからにちがいない」と、みごとに「証拠」をみつけたというわけです。それが「勝手な解釈」の正体です。

そしてワークショップの最後に、そのことをお話しました。するとKさんの反応は、「え?! ボク、時計見ましたっけ? しかも、そんなこと全然考えてなかったですよ」

『プロフェッショナル・ファシリテーター』にも似たような例がたくさん出てきますが、「炎」は、ささいなことで簡単についてしまいます。そして、その炎をつけているのは、他ならぬ自分なのです。

リズムと楽器を使ってStanding in the Fireを学ぶ???

先週1/17に、Standing in the Fireワークショップ アドバンス編として、リズムや楽器の即興演奏とそのファシリテーション体験を用いた世界初の試みを行ないました。「リズムと楽器を使ってSIF???」と、ちょっと意外な方も多いと思いますが、打楽器即興演奏「ドラムサークル」では、参加者の中に様々なとまどいや緊張、つまり「炎」が沸き起こります。そんな気持ちを乗り越えて安心・安全な場を提供するのがドラムサークル・ファシリテーターです。また、ドラムサークル・ファシリテーター自身の中にも、ありとあらゆる形の「炎」が刻々と訪れます。その「参加者」「ファシリテーター」の両方の役割を体験していただきながら、自分の中にある感情を「つかまえて」いく内容となりました。

たんにドラムをたたくだけでなく各種リズムゲームも活用してダイアログを行なうこのワークショップは、すでに5年以上前に作ったものですが、元々はリーダーシップ開発のためのプログラムでした。それを今回、Standing in the Fire(『プロフェッショナル・ファシリテーター』)の「6つの流儀」に当てはめながら作りました。作っていると、ドラムサークル・ファシリテーションの修行はまさにSIFそのものだったと気がつきました。

ワークショップは参加者の皆さんがそれぞれに、自分の中で無意識にスルーしていた「炎」を「つかまえる」機会となりましたが、じつは最大の「炎」は私自身についたものでした。ドラムサークルは一定数以上の参加者がいないと、とてもやりづらいものです。それが今回の参加者はその半数くらいしかいない。そんな少数グループのドラムサークルを行なったのは、12年前にドラムサークルを始めた頃以来です。その頃はどんな機会でもファシリテーションの練習をしたかったので、少人数でもやっていました。そして「あまり少ないとやらない」というのは、経験を積んだドラムサークル・ファシリテーターとしての私の中の「エゴ」や「傲慢さ」の顕われだったとも言えます。

いったんはワークショップをキャンセルすることも考えましたが、初心に戻って厳しい環境でやってみることにしました。ですから、当日の数日前から「本当にやれるんだろうか? 大丈夫なのか?」という気持ちをなだめすかし、当日を迎えました。

ワークショップ中にも迷いや、準備してきた内容に微調整を加えながら進み、試行錯誤の連続でしたが、結局「やってよかった!」と思いました。

ワークショップでは、「じつは、今日最大の「炎」をかかえてここにやってきているのは私です」ということを、参加者の方々にお伝えしました。SIFワークショップの基本のひとうは、「自分の中で無意識に持っている感情や考えを認識する」というものです。それに気づかないでいたり隠したりするので、「炎」はますます炎上します。そして、それがあることに気がついたら、言ってみる。『プロフェッショナル・ファシリテーター』の序章でロジャー・シュワーツがラリーと出会った際のエピソードにも、同じようなことが書かれています。言うことによって隠し事がなくなる。すると「炎」がおさまる方向に向かいます。いつでも、相手が誰であっても言える状況とは限りませんが、これはひとつの有効な方法だと思います。

今回のワークショップで一番学んだのは、私自身だったのかもしれません。(笑)

【参加者の感想】

<Mさん>
今日は、自分の体の反応でよくある事で、でも認識せずに流していた事を、ぎゅーっと凝縮して、一気に掘り起こした様な1日だった。
今までえらく沢山の事をスルーして過ごしていた物だ。
すまぬ自分!な気持ち。
ワーク中、あら?あら?と言う事が自分の中に起こっているのに、あたふたしなかったのは、太鼓を叩くのが楽しかった事とか、音の優しい響きとか、周りに居た方々と太鼓を叩きながら、感じる物が多くあったからかな?と思った!
それにしても、楽しかったなー。

<Sさん>
昨日は、Standing in the Fire (SIF)のアドバンスワークショップに参加。
Standing in the Fire とは、いわゆる事態が「炎上」したときに人はどうあったらよいか、という人の「あり方」を磨くもの。会議等のファシリテーターには必須の事項ですが、それ以外の状況にも役立つもの。今回のワークショップは、Standing in the Fireをドラムサークルの体験を通して学ぶもの。
普段私が行なっているドラムサークルも、Standing in the Fireの視点からみると、なるほど目から鱗が落ちることばかり。
楽しみながら自分の在り方について気付かされました。
参加者の皆様もイケテル皆様ばかりでした。主催の佐々木薫さん、ご参加のみなさまありがとうございました。

*Standing in the Fireベーシックコースは1/28〜開催(全三回)です。
https://www.facebook.com/events/676094952507952

 

共にいること

フランク・オスタセスキさんは、禅をベースとしたターミナルケアの施設を運営している人です。13-4年前に数回通訳をして、その後私のケアリングクラウンであり友人でもあるShobi Dobi(映画になったパッチ・アダムズさんの同僚)に、新潟の地震に引き続き先の大震災の後に、どのようなタイミングでどのような支援をしにいけばいいだろう?と相談したら、彼女が発行しているHospital Clown Newsletterのフランクさんの記事を薦めてくれました。そこで、私の当時のホームページに訳して掲載しました。どんな支援者にも参考になる、感動的なインタビュー記事です。ぜひご一読ください。Shobiからはその頃、「どうすれば相手とほんとうに”共にいる”ことができるか?」をおしえてもらいました。「共にいる」は、簡単そうでとても難しい。まさにStanding in the Fireの「いま、ここ」「共感」に通じる重要ポイントです。フランクさんの記事とStanding in the Fireは、とてもよく似た内容となっています。

その中に、HIV末期の大切な友人の世話をした時のことが書かれています。一晩中「忙しく」「その患者さんのために〜〜をする」に追われて疲労困憊になったフランクさんが、友人のあるひと言で、そこに座って泣き始めます。そのときはじめて、「共にいる」ことができた、という話です。英語で言うとsurrender、直訳すると「降伏・降参する」ですが、「明け渡した」瞬間です。

こういうことを考えていると、「あり方」を磨くのは長い道のりだな・・・と、ちょっとため息をつきたくなりました。

今朝のラリーとのSkypeではこの話をしましたが、ラリーによると「”あり方”には”終わり”とか”完成”はなくて、プロセスがあるだけだ」というようなことを話していました。

ネルソン・マンデラ

“Long Walk to Freedom” (日本語版『自由への長い道』)を読んだハウスメイトにおしえてもらった本の中のエピソード。(じつはその原書は私が15年程前に買ったものですが、私は読んでいません。汗)マンデラさんが家に帰るために飛行機に搭乗しようとしたとき、パイロットが黒人であることを知り、「大丈夫かな?!」と思わず考えてしまいました。自分の中にもそんな気持ちが反射的に出てくることを発見し、差別がいかに誰もの心に刷り込まれた根強いものであるかに気がついたそうです。

自分の中にあるものに気がつき、それを自伝で世界に向けて書いてしまう(=告白する)という、マンデラさんの「あり方」に、その偉大さを再確認しました。

今朝ラリーとたまたまSkypeで話したので、そのマンデラさんの話をして会話が盛り上がりました。

余談ですが、昔、西アフリカのセネガルに通っていた頃、「僕たちはしょせん、奴隷の子孫だ」という若者たちといつも喧嘩していました。「それは正しくない。先祖が奴隷として連れて行かれたなら、あなたたちは今ここにいないはずじゃない」

そして、ヨーロッパ人がアフリカに行って、銃という武器を持って直接暴力をふるったことよりも、何世代にも渡って「おまえたちは能力がない、劣る存在だ。人間以下だ」と言い聞かせ続けたことが、大きい罪だったのではないかと思いました。「自分は劣っている、ダメな存在だ」とディスパワー(エンパワーの反対)されてしまうことにより、本当にそのような存在になっています。「心への暴力」は「肉体への暴力」よりも壊滅的なダメージを与えるのかもしれません。

「刷り込み」のマンデラさんの話をきいて、久々にそんなことを思い出しました。