先住民とストーリーテリング

先日の「コレクティブ・ストーリー・ハーベスティング」ワークショップの際にお話しした内容を以下に掲載します。

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私は’89年からブラジルアマゾンの熱帯林と先住民の支援活動をしていました。環境問題・先住民・シャーマニズムに関わっていると、その頃はそういう人たちはとても少なかったので、おのずと互いと知り合って協力していました。いまはみなさん「先住民」という言葉を知っていますが、その頃は日本の一般の人の中では、「原住民」「土人」と、「野蛮な人たち」という扱いが普通でした。

いま、先住民でいちばん知られているのはネイティブ・アメリカンの人たちですが、ニュージーランドのマオリ、オーストラリアのアボリジニ(「アボリジニ」という言い方は差別的だそうです。)もいます。いまはそうやって誰でも知っていますが、当時は「なんでそんな野蛮な人たちを助けるの?」と言われることもある時代でした。

ハワイの著名な「クムフラ」にも、知り合いがいます。「フラ」とはハワイの伝統文化全体を指し、そのごく一部がみなさんご存知のフラダンスだそうです。「クムフラ」とは、医療、文化、伝承すべてを、たいへんな修行を通じて知っている人たちです。ハワイでは、『星の航海士』という本を書いたナイノア・トンプソンさんの最初の来日の際には、通訳をつとめさせていただきました。ヨット用語や海のことを知っている必要があり、先住民と海に詳しいという理由で頼まれました。インドネシアのサラワクや先に独立した東チモールの人々の活動にも関わり、サンフランシスコのあたりに住んでいた絶滅した先住民の本を書いた『オローニの日々』の著者、マルコム・マーグリンさんの通訳もつとめました。カリブ海の、やはり絶滅したカリブ族等、いろいろな人々の情報も入ってきていました。先住民ではありませんが、ブラジルや西アフリカの独特の宗教に接したり、ジャマイカのメディスンマンにも知り合いがいました。

’85年くらいから、私の知り合いたちがネイティブ・アメリカンの人々を日本にお招きするようになりました。その最初は、最近また有名になったデニス・バンクスという人だったと思います。さきほど話に出たナイノアさんはハワイ先住民ですが、伝統的カヌーと航海術を復活させて船を創ろうとしたら、ハワイの自然は一度ぜんぶ壊してリゾートにしたので、カヌーに使う木がなかったという話が本に出てきます。その時に木材を提供してくれたのが、アラスカ先住民のクリンギット族です。写真家の故星野道夫さんとも親しかったというクリンギット族のボブ・サムさんが現在日本に住んでおられると思います。

長い話になりましたが、それが私のバックグラウンドです。ボブ・サムさんの肩書きは「ストーリーテラー」ですが、最初に来日された時に、アマゾンの支援団体でストーリーテリングをしてくださいました。そのようなストーリーテリングが、ストーリーテリングだと思っているのが、一般的な捉え方だと思います。そこで、それとここでやっているストーリーテリングと何が違うんだろう?と考えました。

伝統文化の中で語られるストーリーは、「パブリック(公的)なストーリー」または「共有されたストーリー」と言えます。でもここでは、何かの目的のためにストーリーを利用するということをします。それは、「パーソナル(私的)なストーリー」となります。例えば講演会も、パーソナルなストーリーでしょう。そうしたストーリーにリアクション(フィードバック)があると、何か新しいものが生まれたり、発見したりします。そのためのある種の「ツール」またはひとつの「考え方」として、ストーリーを利用・活用するのが、今日体験して学ぶ内容です。

パーソナルなストーリーは、パーソナルですから、「否定のしようがない」という特徴があります。聴いた側は、「ええ〜っ!? そんなことはないでしょう???」とは言えません。その人にとっての真実であり、それをみんなが聴いて受け入れるので、受容体験を得ることができます。

ストーリーは古今東西のさまざまな文化でとても大事なものとされていますが、なぜ大事なのかを考えてみました。

先住民の文化では、長老や目上の人がストーリーを語ることが多いです。一口に「アマゾン」と言っても、ブラジル、ペルー、ボリビア等のたくさんの国を流域として、いろいろな部族がいます。私たちは、保護区となっていて一般の人が立ち入れない「シングー」という地域で活動していました。誰かがストーリーを語ると、子供達は一生懸命、目をキラキラさせて、聴いています。「ねえ、あのお話、またして!」と、何回もお願いをするそうです。文字がないので、毎回「真剣勝負」です。人間にとって根源的な、文化の継承や危険を回避する智慧等を、生活の中でも学んでいますが、ストーリーの形で得ます。これは、「情報」です。

それによって「関係性」ができて、コミュニティーが作られる・強化されるという機能もあります。また、そういう「長老的」「エルダー的」な「あり方」に日常的に触れることによって、「道徳観」「高潔な人格とは何か」「人間らしい生き方とは何か」を自然に学んでいます。

「情報」は、先住民のコンテキストでは「智慧」という呼ばれ方をします。その「智慧」の種類も考えてみました。まず、いちばん大事なのは「創成神話」です。創成神話とは、「世界や宇宙はどうやってできたか?」が神話の形で語られます。(日本にも神話があります。)それにより、「こうなって、ああなって、それで私たちはここにいます」ということがわかります。ほとんどの先住民文化には、創成神話があり、文字や図書館やパソコンはありませんから、それは全部、頭とハートで知っておかないといけない。神話は長い間、代々語り継がれてきたので、ほんとかうそか、もはやわかりません。伝言ゲームみたいなもので、途中でバージョンアップされたかもしれません。でも、本質は変わらないでしょう。創成神話は民族の誇りや感謝を抱くことにもつながりますが、個人的には創成神話があると、「私は何者であるか?」、つまりアイデンティティーを持つことができると思います。それがあると、人が「しっかりする」。私たちは、ここにある紙一枚、どこから来たのかわかりません。どこでどうやって育った木を切って、どうやって運んで、誰が紙にして持ってきたか、また、使ってゴミになると、どこに行ってしまうかわかりません。ところがアマゾンの先住民達は、どこにどの季節に行けばある薬草がとれるか知っていて、使い終わると土に戻ることを知っています。同じように、自分たちのルーツを知っていて、自分もいつかは土に戻ることが、毎日実感できます。だから、本当の先住民の人たちは「自分が自分であること」に何の迷いもなく、とても堂々と生きています。

ストーリーによって「知識・情報・智慧」や「文化」が伝達されますが、「道徳」も伝わります。先住民文化には「法」があります。

また、忘れてならないのが「精霊の話」です。精霊は、私はいると思いますが、一般的に「見えない」「聴こえない」です。でも彼らは見えたり聴こえたりするようです。視覚・聴覚と言うのではなく、違うチャンネルを通じて感じているのかもしれません。アマゾンの人たちはUFOや地底人ともふつうにお話しているそうですが。(笑)ですから、私たちはここから、あそこにある植木のところまで「何もない」と思っていますが、その間に無数に何かあるかもしれない。世界が充満している。それは、現代風に言うと「環境教育」です。「どこにも精霊が宿っている」。日本の八百万の神と一緒で、先住民の宗教はアミニズムです。

「どこにも精霊がいるから、大切にしなければいけない」と考えます。大切にするから、自分が生きることができます。

こうしたことを考えると、先住民の生き方はどちらにも偏らない「全脳的」であると言えるでしょう。また、システム思考的つまりホリスティックな発想です。

ちょっとはずれますが、今日のお話を考えていた時に頭に浮かんだのが「神聖さ」ということばでした。神聖さとは、不思議なことやおどろおどろしいことではなくて、もっとぜんぜん平易なことではないか? 「いのち全体に対するレスペクト」だと思います。「全体があって、自分はその一部だ」という感覚や、最近のU理論で言えばプレゼンシングの部分、「本質的なものにつながっている」という自信が、神聖さではないかと考えました。

では最後に、アマゾン先住民の活動を以前支援してくださっていた、某放送局のMさんが書いた、彼らの合意形成のプロセスに関する文章を読んでみます。ストーリーテリングには直接関係ありませんが、ファシリテーションや合意形成には、みなさんご興味があると思いますので。

<Mさんの文章は割愛>

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