明晰さ、穏やかさ、勇気

先週末、ODNJ(ODネットワークジャパン)年次大会に、アダム・カヘン氏が登壇されました。カヘン氏はU理論の実践家として、世界中の社会問題に取り組んでいます。2010年のカヘン氏とパートナーのレアン・グリロ氏による「チェンジ・ラボ」ワークショップ来日の際には、私もスタッフとして参加しました。

今回またカヘン氏が淡々と話すのを聴きながら、志高い内容もさることながら、その凄みのある「あり方」に圧倒されました。

「社会変革の実践者に必要な心がまえは、何だと思いますか?」と5つのポイントをあげて、そのうちどれが正しいと思うか、来場者に問いかけがありました。私も含めて、たくさんの 人がその5つのうち多くのポイントを正しいと思う、と挙手で示しました。

「私も以前は、この5つが正しいと思っていました。でも、いろいろなプロジェクトに関わるにつれて、その正反対だということがわかってきたのです」

5つ目のポイントは、「従来正しいと思った心がまえ:人を変えさせる」→「新しい心がまえ:他の人を変えることはできない。自分が変わるという謙虚さを持つ必要がある」というものでした。上の「正反対だということがわかった」というのは、それを体現しているものであり、プレゼンターであるカヘン氏が自分の間違いをそうやってあっさりと自己開示する態度そのものに、彼の「あり方」の源のひとつがあると思います。これまでの著書でも、同様のことはたくさん書いてあるものの、あらためて対面で(カヘン氏はネット参加でしたが)聴くと、心に迫るものを感じました。

『プロフェッショナル・ファシリテーター』(原題:Standing in the Fire)の副題は、Leading High-Heat Meetings with Clarity, Calm and Courage(白熱する会議を明晰さ、穏やかさ、勇気を持ってリードする)ですが、まさに世界中の「炎」の中に立ち続けたカヘン氏の「あり方」そのものだと再確認しました。

■ 次回 Standing in the Fireワークショップ【11期 】8月6日(土)詳細はこちらからご覧ください。

「炎」は簡単についてしまう

以前のブログに書いた、2015年2月2日の日記です。

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先週、Standing in the Fireワークショップ第二期(全三回)が始まりました。

イントロの話をして5分くらい経った時のことです。部屋の時計は私の背後にあるので、見えません。「話し過ぎかな?」と考えながら話してると、正面に座っていた参加者のKさんが、私から目をそらして、ちらりと時計を見ました。

私の中ではその動作の意味は「長々と話してばかりいないで、さっさと始めてくれないかな〜」に決定! そう、勝手に解釈してしまったのです。「そうか、話しすぎなんだな」と、その後そそくさと、話をやめて参加者全員のチェックイン(自己紹介を兼ねて、その時自分の心の中にあることをシェアする)を始めてしまいました。

人間は、自分の考えの「証拠探し」をすると言われています。「話が長すぎるかな」と思っていた私は、「ほうらね! ああやって時計を見たでしょう? 話が長すぎてるからにちがいない」と、みごとに「証拠」をみつけたというわけです。それが「勝手な解釈」の正体です。

そしてワークショップの最後に、そのことをお話しました。するとKさんの反応は、「え?! ボク、時計見ましたっけ? しかも、そんなこと全然考えてなかったですよ」

『プロフェッショナル・ファシリテーター』にも似たような例がたくさん出てきますが、「炎」は、ささいなことで簡単についてしまいます。そして、その炎をつけているのは、他ならぬ自分なのです。

次回Standing in the Fireワークショップ【第10期】2016年5月21日
詳細はここ↑をクリックしてください。

不動心

たいへんな災害に見舞われている熊本をはじめとする九州の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

余震がつづき、日に日に体力は奪われ、どんなに心細く怖く、先の見えない日々を送られているかと思うと、胸がつまります。

九州の皆様と全国の私たちが、どれくらい警戒や心配をしてショックを共有するべきか?それともずっと心乱され続けることなく心穏やかな状態を保つのがいいのか?・・・と、思いを巡らせました。東北の知り合いも「ストレスを軽減するストレッチや呼吸法」等を九州の方々に紹介しています。

考えているうちに、先日送られてきた、田坂広志さんのメルマガ2002年「風のたより」の再送版のことを思い出しました。

「坐禅を初めたばかりの若者と、長年修行を積んだ禅僧の脳波比較実験が行なわれた。瞑想状態になると二人とも、整然とした脳波になった。そこで二人を驚かせようと大きな音を立てたところ、二人とも脳波が乱れた。肝心なことはその後で、乱れ続けた若者とは対照的に、禅僧の脳波はすみやかに元に戻った。

不動心とは、”決して乱れぬ心”ではなく、”乱れ続けない心”なのです」

(以上、「風のたより」より要約)

九州の皆様はそうも言っていられない状態とは思いますが、支援・応援する私たちはそうありたいものです。

 

 

 

 

 

自然の中で「あり方」を磨く

3月19日〜21日、「自然の中でひとりで行なう究極の内省」Being SOLOを宮古島で開催しました。

宮古島でのSOLOは、2年前以上前に現地のシャーマンの方に連絡してから、開催までに長い時間がかかりました。

これまでに高尾、富士、奥多摩、熊本県南小国町と様々なところを会場にSOLOを行なってきましたが、今回は初めての海での開催。

Being SOLOはアウトドアイベントに慣れない方々に自然の中で過ごしていただくため、主催側としては安全を第一に準備・実施しています。

「場をホールドする」という表現がありますが、物理的安全の他にも、参加者が安全・安心にいられる「器」作りも、主催者の大きな仕事となります。同時に、私たち主催者もSOLOの体験をしています。

今回は動物・植物・海・天候(開始時は、文字通り嵐でした)はもちろん、「神々の島」である宮古島の聖地中の聖地を使わせていただいたので、「目に見えぬものたち」も色濃い気配のあるところでした。そんなところで場をホールドする能力が自分にあるのか?と、じつは自分の中に頭をもたげてくる怖れとも向き合う必要がありました。そのために入念な準備と、その特別な場所を使わせていただくことへの感謝を忘れないようにして、シャーマンの方との事前・事後の神様へのご挨拶も行ないました。

それでも、心の中にはザワザワが生まれてきます。自然の中でのハードな体験をしながら場をホールドするための「ニュートラルな気持ちでいる」「直観とつながっている」ためには、そして「刻々と的確な判断をする」ためにはまず、「心のおしゃべり」を静めることが必須となります。

これまでの人生の中での自然体験に加えてBeing SOLOの体験を積むにつれ、まだまだとはいえ、以前より早く「自分の中の静かな場所」につながる術が少しずつ身についてきていると感じます。

Standing in the Fireでも、「練習が大事」となっていますが、実践を積むことによってしか体得できないことがあります。

【次回Standing in the Fireワークショップ】

2016年5月21日(土)10:00〜18:00 @高尾 ←クリックすると詳細をご覧頂けます。

炎をくぐり抜けて

「中東で会議をファシリテーションしてほしい」と言われたのは、1月末のことです。しかも本番はわずかその2週間後、英語でのファシリテーションとのこと。技術駅な内容になりそうでした。

ちょうど宮古島に行っていて、地元のシャーマンの友人に「こんな話がきてるんですが・・・」と思わずもらしたら、しばらく「あちら」とつながった後に彼女は、「行ったら? やってみないと誰にもわからない。できない仕事は、来ない。大丈夫です!」と言ってくれましたが、すぐには決心がつきませんでした。

「チャレンジしたい!」と「私にできるだろうか?」の狭間を行ったりきたりしながら、結局2/19〜24に行ってきました。

この間、「プロフェッショナル・ファシリテーター」の著者、ラリー・ドレスラー氏と何度もやりとりをして、「怖れ」について話し合いました。

これまでの自分のパターンは、(1)怖れに捕われ緊張してみごとに大失敗し、またひとつ「自分には能力はない」という「 証拠をみつける」こと、(2)「スケジュールがあいていません」という口実でオファーを断り、自分の「へたれ具合」を責め続けること、だったので、第3のパターン、つまりラリーの著書の副題であるLeading High-Heat Meeting with Clarity, Calm and Courageの実践を目指したい、と伝えました。

仕事が本決まりになり、本番までのわずか2週間、内容的準備と共にいちばん力を入れたのは自分のコンディション作りと、怖れと向き合う作業でした。

たまたま開催された、お坊さんとの怖れについて語り合う会に参加したり、レメディーを送ってもらったり、ラリーのStanding in the Fireワークショップで行なう実践法に基づいて「お守り」を作ったり・・・。

その中で、私の能力を信じて応援してくれる人がたくさんいることがわかりました。それに、どれだけ助けられたでしょう。

旅程はハードスケジュールで、現場はもちろん予想外のことだらけでしたが、クライアントさんたちは成果にとても喜んでくださいました。

そして、戻ってからラリーに「告白」した、私の中のヒミツがありました。それは、秘かに一番怖れていたのは、あの白いアラブの民族衣装の人たちに取り囲まれてファシリテートするということ。我ながらくだらないポイントですが、私の中ではあの衣装に、あまり知らないアラブ人への勝手なイメージが象徴されていたのでしょう。でも実際に行ってみると、参加者はみなさん穏やかで協力的でした。

ラリーは「本当に人間の心というものは、自分の中で勝手に創り上げた”怖れのシナリオ”を”いとも簡単に創り出すものだね」と言っていました。

実際にハードな仕事でしたが、自分に一番「炎」をつけているのは自分自身だということが、さらに明らかになる数週間でした。

● 『プロフェッショナル・ファシリテーター どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀』Standing in the Fire(SIF)ワークショップ【アドバンス】

SIFカバー

 初のSIFアドバンスワークショップです。SIFワークショップで網羅する「6つの流儀」を、さらに深く探究します。 前半は非言語ファシリテーションの体験から学び、後半は主に「私は何者か?」を掘り下げます。あなたのチェンジエージェントとしての「あり方」やリーダーシップ向上に一生役立つワークショップです。

*SIFワークショップ未受講の方もご参加いただけます。

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日 時:2016年3月12日(土)10:00〜18:00

会 場:東京都内(ご予約の方にお知らせします)

参加費:
・SIFワークショップ参加済みの方:19,000円
・SIFワークショップ未受講の方:23,000円
<早割(1/29までにお振込到着の方)>
・SIFワークショップ参加済みの方:17,000円
・SIFワークショップ未受講の方:21,000円

定 員:10名

お申込:こちらのフォームからご予約ください。

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まだまだですか・・・(苦笑)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

新年に知り合った神主さんが、「神様カード」でリーディングをしてくださいました。

私の神様は大屋毘古神(おおやひこのかみ、別名:五十猛 命)という、木の神様でした。高天原から多くの木のタネをたくさん携えて地上に降りてきたので、日本は緑深い国になったということです。

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その中で何度も出てくるのが、「自分の古いパターンに気がつきましょう」ということでした。そうすると、「大屋毘古神が、自分が世界の中心であるという幻想から目を覚ます手伝いをしてくる」のだそうです。

Standing in the Fireワークショップを初めてから一年余り、ずーっと修行(?)してきたつもりですが、まだまだですね〜(ため息。)

また新たな気持ちで取り組んでいきたいと思います。

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【残席1】
次回Standing in the Fireワークショップ:2016年1月11日(祝)■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

子育てにも「あり方」

月に一度、野口整体の「活元会」というものに参加しています。

今回の内海先生のお言葉。

「こどもがぐずったり、何かしらの問題がある時には、まずお母さんが、ご自身の”みぞおち”がちゃんと緩んでるかを、まずチェックしてください」

こどもが悪いのではなく、まさにお母さんの内面を映し出しているというわけですね。それはこどもに限らず、あなたが創り出す、またはいる、「場」も同じです。

野口整体では、みぞおちが緩み丹田に気を満ちさせることが基本ですが、それがなかなか難しい!

震災の時に翻訳したフランク・オスタセスキさんの文章にも、「おなかが緩んでいるかを、まず調べなさい」という場面が出てきます。

いずれにしても、まず体をチェック!というのは、SIFワークショップと同じです。

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次回SIFワークショップ:2016年1月11日
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ファシリテーションと自然

私は東京の西の端の田舎に住んでいて、森や海といった自然の中で時間を過ごすことが多いのですが、ずっと以前から「自然は師匠」と思っています。

自然の中の生き物たちは、脈々と着々と黙々と、協力しあい競争しあい、それぞれが自主的であると同時に、まるで全体としての意志を持っているかのように生きています。「競争しあい」と書きましたが、「否定しあい」「反対しあい」「傷つけあい」とは書いていません。互いのためになると同時に、自分の意志や存在そのものを、きちんと守っています。

つまり、自分たちで上手に「合意」しているのです。

そこにファシリテーターは存在しません。あるならばそれは「神」や「自然の摂理」、「宇宙の意志」となるのでしょうが、究極の自主性とも言えます。

「あるように、ある」という当たり前のあり方が、言葉を持つ人間の世界では難しい。そうあれるように支援できるようなファシリテーターを目指したいものです。

先住民とストーリーテリング

先日の「コレクティブ・ストーリー・ハーベスティング」ワークショップの際にお話しした内容を以下に掲載します。

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私は’89年からブラジルアマゾンの熱帯林と先住民の支援活動をしていました。環境問題・先住民・シャーマニズムに関わっていると、その頃はそういう人たちはとても少なかったので、おのずと互いと知り合って協力していました。いまはみなさん「先住民」という言葉を知っていますが、その頃は日本の一般の人の中では、「原住民」「土人」と、「野蛮な人たち」という扱いが普通でした。

いま、先住民でいちばん知られているのはネイティブ・アメリカンの人たちですが、ニュージーランドのマオリ、オーストラリアのアボリジニ(「アボリジニ」という言い方は差別的だそうです。)もいます。いまはそうやって誰でも知っていますが、当時は「なんでそんな野蛮な人たちを助けるの?」と言われることもある時代でした。

ハワイの著名な「クムフラ」にも、知り合いがいます。「フラ」とはハワイの伝統文化全体を指し、そのごく一部がみなさんご存知のフラダンスだそうです。「クムフラ」とは、医療、文化、伝承すべてを、たいへんな修行を通じて知っている人たちです。ハワイでは、『星の航海士』という本を書いたナイノア・トンプソンさんの最初の来日の際には、通訳をつとめさせていただきました。ヨット用語や海のことを知っている必要があり、先住民と海に詳しいという理由で頼まれました。インドネシアのサラワクや先に独立した東チモールの人々の活動にも関わり、サンフランシスコのあたりに住んでいた絶滅した先住民の本を書いた『オローニの日々』の著者、マルコム・マーグリンさんの通訳もつとめました。カリブ海の、やはり絶滅したカリブ族等、いろいろな人々の情報も入ってきていました。先住民ではありませんが、ブラジルや西アフリカの独特の宗教に接したり、ジャマイカのメディスンマンにも知り合いがいました。

’85年くらいから、私の知り合いたちがネイティブ・アメリカンの人々を日本にお招きするようになりました。その最初は、最近また有名になったデニス・バンクスという人だったと思います。さきほど話に出たナイノアさんはハワイ先住民ですが、伝統的カヌーと航海術を復活させて船を創ろうとしたら、ハワイの自然は一度ぜんぶ壊してリゾートにしたので、カヌーに使う木がなかったという話が本に出てきます。その時に木材を提供してくれたのが、アラスカ先住民のクリンギット族です。写真家の故星野道夫さんとも親しかったというクリンギット族のボブ・サムさんが現在日本に住んでおられると思います。

長い話になりましたが、それが私のバックグラウンドです。ボブ・サムさんの肩書きは「ストーリーテラー」ですが、最初に来日された時に、アマゾンの支援団体でストーリーテリングをしてくださいました。そのようなストーリーテリングが、ストーリーテリングだと思っているのが、一般的な捉え方だと思います。そこで、それとここでやっているストーリーテリングと何が違うんだろう?と考えました。

伝統文化の中で語られるストーリーは、「パブリック(公的)なストーリー」または「共有されたストーリー」と言えます。でもここでは、何かの目的のためにストーリーを利用するということをします。それは、「パーソナル(私的)なストーリー」となります。例えば講演会も、パーソナルなストーリーでしょう。そうしたストーリーにリアクション(フィードバック)があると、何か新しいものが生まれたり、発見したりします。そのためのある種の「ツール」またはひとつの「考え方」として、ストーリーを利用・活用するのが、今日体験して学ぶ内容です。

パーソナルなストーリーは、パーソナルですから、「否定のしようがない」という特徴があります。聴いた側は、「ええ〜っ!? そんなことはないでしょう???」とは言えません。その人にとっての真実であり、それをみんなが聴いて受け入れるので、受容体験を得ることができます。

ストーリーは古今東西のさまざまな文化でとても大事なものとされていますが、なぜ大事なのかを考えてみました。

先住民の文化では、長老や目上の人がストーリーを語ることが多いです。一口に「アマゾン」と言っても、ブラジル、ペルー、ボリビア等のたくさんの国を流域として、いろいろな部族がいます。私たちは、保護区となっていて一般の人が立ち入れない「シングー」という地域で活動していました。誰かがストーリーを語ると、子供達は一生懸命、目をキラキラさせて、聴いています。「ねえ、あのお話、またして!」と、何回もお願いをするそうです。文字がないので、毎回「真剣勝負」です。人間にとって根源的な、文化の継承や危険を回避する智慧等を、生活の中でも学んでいますが、ストーリーの形で得ます。これは、「情報」です。

それによって「関係性」ができて、コミュニティーが作られる・強化されるという機能もあります。また、そういう「長老的」「エルダー的」な「あり方」に日常的に触れることによって、「道徳観」「高潔な人格とは何か」「人間らしい生き方とは何か」を自然に学んでいます。

「情報」は、先住民のコンテキストでは「智慧」という呼ばれ方をします。その「智慧」の種類も考えてみました。まず、いちばん大事なのは「創成神話」です。創成神話とは、「世界や宇宙はどうやってできたか?」が神話の形で語られます。(日本にも神話があります。)それにより、「こうなって、ああなって、それで私たちはここにいます」ということがわかります。ほとんどの先住民文化には、創成神話があり、文字や図書館やパソコンはありませんから、それは全部、頭とハートで知っておかないといけない。神話は長い間、代々語り継がれてきたので、ほんとかうそか、もはやわかりません。伝言ゲームみたいなもので、途中でバージョンアップされたかもしれません。でも、本質は変わらないでしょう。創成神話は民族の誇りや感謝を抱くことにもつながりますが、個人的には創成神話があると、「私は何者であるか?」、つまりアイデンティティーを持つことができると思います。それがあると、人が「しっかりする」。私たちは、ここにある紙一枚、どこから来たのかわかりません。どこでどうやって育った木を切って、どうやって運んで、誰が紙にして持ってきたか、また、使ってゴミになると、どこに行ってしまうかわかりません。ところがアマゾンの先住民達は、どこにどの季節に行けばある薬草がとれるか知っていて、使い終わると土に戻ることを知っています。同じように、自分たちのルーツを知っていて、自分もいつかは土に戻ることが、毎日実感できます。だから、本当の先住民の人たちは「自分が自分であること」に何の迷いもなく、とても堂々と生きています。

ストーリーによって「知識・情報・智慧」や「文化」が伝達されますが、「道徳」も伝わります。先住民文化には「法」があります。

また、忘れてならないのが「精霊の話」です。精霊は、私はいると思いますが、一般的に「見えない」「聴こえない」です。でも彼らは見えたり聴こえたりするようです。視覚・聴覚と言うのではなく、違うチャンネルを通じて感じているのかもしれません。アマゾンの人たちはUFOや地底人ともふつうにお話しているそうですが。(笑)ですから、私たちはここから、あそこにある植木のところまで「何もない」と思っていますが、その間に無数に何かあるかもしれない。世界が充満している。それは、現代風に言うと「環境教育」です。「どこにも精霊が宿っている」。日本の八百万の神と一緒で、先住民の宗教はアミニズムです。

「どこにも精霊がいるから、大切にしなければいけない」と考えます。大切にするから、自分が生きることができます。

こうしたことを考えると、先住民の生き方はどちらにも偏らない「全脳的」であると言えるでしょう。また、システム思考的つまりホリスティックな発想です。

ちょっとはずれますが、今日のお話を考えていた時に頭に浮かんだのが「神聖さ」ということばでした。神聖さとは、不思議なことやおどろおどろしいことではなくて、もっとぜんぜん平易なことではないか? 「いのち全体に対するレスペクト」だと思います。「全体があって、自分はその一部だ」という感覚や、最近のU理論で言えばプレゼンシングの部分、「本質的なものにつながっている」という自信が、神聖さではないかと考えました。

では最後に、アマゾン先住民の活動を以前支援してくださっていた、某放送局のMさんが書いた、彼らの合意形成のプロセスに関する文章を読んでみます。ストーリーテリングには直接関係ありませんが、ファシリテーションや合意形成には、みなさんご興味があると思いますので。

<Mさんの文章は割愛>